Anthropicが2026年2月24日に公表したEnterprise向け機能拡張は、単なる「Claudeの新機能追加」ではなく、企業内ワークフローの主導権がSaaSアプリ単位からエージェント単位へ移る転換点である。公開情報で確認できる範囲でも、投資銀行(FactSet、PitchBook)、人事(Workday)、法務(DocuSign)、設計(Canva)、業務オペレーション(Asana、Linear、PayPal)までを一気に接続する10プラグインが提示され、加えてGoogle Drive・Gmail・Google Calendar・Notion・Jira・Confluence・Zapier・Intercom・Square・Sentryなどへの統合が同時に示された。ここで重要なのは、機能数の多さではない。意思決定・文書・承認・執行の各レイヤーをClaude上の単一対話面に収束させることで、「どのSaaSを開くか」ではなく「どの業務目標を達成するか」で操作単位が再定義された点である。
本稿は、この発表を便宜上「Claude Cowork」と呼び、10大プラグイン群が示す構造変化を技術・市場・ガバナンスの3軸で分解する。結論を先に述べると、2026年時点で優位を持つのは最も多機能なSaaSではなく、MCP(Model Context Protocol)経由で安全に外部能力を供給できる企業である。従来のSaaSは画面中心のUX最適化で競争してきたが、AIネイティブワークフローでは「認可されたコンテキストをどれだけ低遅延で、監査可能な形でエージェントに渡せるか」が競争軸になる。
1. 2026年2月24日発表の10大プラグインは何を変えたのか
Anthropicの公式アナウンスで列挙された10プラグインは、業務機能の分散を逆手に取り、最終的な判断点だけをClaudeに引き寄せる設計になっている。確認できる10件は以下である。1) Asana、2) Atlassian Jira、3) Atlassian Confluence、4) Canva、5) Intercom、6) Linear、7) PayPal、8) Plaid、9) Square、10) Sentry。さらに同時発表として、Gmail、Google Drive、Google Calendar、Notion、Zapier、DocuSign、HubSpot、Prism、FactSet、PitchBook、Cloudflare、Workdayなど、実務の中核データを保持するサービスへの接続が提示された。
この組み合わせが持つ意味は、情報参照系(Drive、Notion、Confluence)、コミュニケーション系(Gmail、Intercom)、実行系(Asana、Linear、Square、PayPal)、高付加価値ドメイン系(FactSet、PitchBook、DocuSign、Workday)が同一の対話ループに入ったことである。従来は「資料を検索→内容を要約→承認文書を作成→電子署名→タスク化→支払処理」という直列の人手作業が、エージェント主導の並列フローへ再配置される。特に投資銀行・法務・人事の3領域では、データ取得権限と意思決定権限が分離されてきたため、接続対象を一気に増やした効果が大きい。
市場への含意は単純である。エンドユーザーはSaaS UIを渡り歩くのではなく、Claudeに「目的」を渡し、必要なSaaSを裏側で呼び出させる行動へ移行する。UIの主役がSaaS個別画面からエージェントの対話面へ移るほど、単機能SaaSは「エージェントから呼ばれるAPI提供者」へと立場が変わる。これは課金単位の再設計を不可避にし、シート課金中心モデルに構造的圧力をかける。
2. 「Claude Cowork」型統合がSaaS市場へ突きつける3つの圧力
第1の圧力は、ワークフロー所有権の移動である。これまではSaaSベンダーが画面遷移の中で業務順序を規定し、ユーザーはその順序に合わせて操作していた。AIネイティブ化後は、ユーザーが成果物と制約条件だけを宣言し、順序最適化はエージェントが担う。結果として、SaaSは「最終UI」ではなく「信頼可能な機能モジュール」になる。
第2の圧力は、差別化軸の逆転である。従来の競争力は画面の使いやすさ、テンプレート量、アプリ内機能網羅性だった。しかしエージェント時代は、(a) 明確なAPI境界、(b) 権限スコープの細粒度管理、(c) 監査ログの機械可読性、(d) 例外時のリカバリ設計が評価軸になる。言い換えれば、プロダクトマネジメントの中心が「人間ユーザー向けGUI」から「エージェント向け実行契約」へ移る。
第3の圧力は、価格体系への直接打撃である。タスク実行がエージェント経由で自動化されると、利用価値はログイン人数より処理件数・成果物品質・コンプライアンス適合率で測定される。SaaS各社が現在のシート課金を維持するほど、調達側は「同等機能をプラグイン経由で束ねればよい」と判断しやすくなる。これは、ERPやCRMが過去に経験したAPI経済化の再演であり、今回は生成AIが移行速度を加速する。
ここで「脅威」を過大評価しないための補足も必要である。規制産業では、依然として業界特化SaaSのドメイン知識と監査実装が重要であり、エージェントが即座に置換するわけではない。ただし、置換が起きなくても主導権が移るだけで利益配分は変わる。SaaSが最終意思決定点を失うこと自体が、企業価値の再評価を招く。
3. プラグインアーキテクチャの技術実装: MCP、接続方式、可観測性
Anthropicは同日発表で、プラグインをClaudeの会話文脈から呼び出すだけでなく、開発者や社内ITが独自のMCPサーバーを接続し、社内データ・社内アクションを拡張できる構成を示した。技術的には、(1) Claude側のツール呼び出し、(2) MCPサーバーの能力公開、(3) 企業システム側の認証・認可、(4) 実行ログの収集という4層で成立する。
実装論点は3つある。第一にスキーマ厳格性である。プラグインが返す構造化レスポンスを曖昧にすると、後段の自動化で例外処理が爆発する。第二に認可伝播である。ユーザー権限、部門権限、データ分類ラベルをMCP呼び出しに持ち込まない設計は、便利でも本番運用に耐えない。第三に観測可能性である。AnthropicはOpenTelemetry連携を提示しており、これは「どのツール呼び出しがどの意思決定に寄与したか」を追跡する前提条件になる。
技術設計としては、以下の最小構成が現実的である。1) ツール定義をJSON Schema相当で固定しバージョン管理する。2) 実行前ポリシー判定(allow/deny/needs-approval)を独立サービス化する。3) 各呼び出しにtrace_idを付与し、LLM推論ログと業務イベントログを突合可能にする。4) 失敗時に人間オペレータへ制御を返すフォールバック経路を常設する。これにより「自動化率」だけでなく「失敗時の安全性」を含めたSLO設計が可能になる。
特に法務・財務・人事を含む統合では、完全自動化より段階的承認(human-in-the-loop)が実務的である。DocuSign連携を例にすると、ドラフト生成までは自動、署名前チェックは人間承認、送信後監査証跡は自動収集という3段分離が妥当である。AIネイティブワークフローの成否は、モデル性能よりこの責任境界設計に依存する。
4. カスタムエージェント・マーケットプレイス機能の経済学
Anthropicはカスタムエージェントの探索・再利用・配布を可能にするMarketplace機能を発表した。これは「社内で作った業務知識」を単なるプロンプト断片ではなく、再利用可能な実行単位として資産化する試みである。市場構造の観点では、SaaSのテンプレート市場と似て見えるが、実際は依存関係が逆である。テンプレートはアプリ内機能に従属するが、エージェントは複数SaaSを横断して価値を生む。
企業導入で重要になるのは、マーケットプレイスを「公開マーケット」と「社内限定マーケット」に分離することだ。公開側は速度と多様性を得られる一方、権限逸脱と品質ばらつきのリスクが高い。社内限定側は統制しやすいが、開発速度が落ちる。したがって実装初期は、共通業務(議事録要約、契約レビュー前処理、案件ステータス集約)を社内限定で標準化し、外部配布は監査要件を満たしたエージェントに限定する二層運用が適切である。
この構造はSaaSベンダーにも再編圧力を与える。今後の優位は「自社アプリ内で完結する機能数」ではなく、「他社エージェントが安全に利用できる能力公開のしやすさ」で決まるからである。結果として、SDK・MCPサーバー・権限モデル・監査メタデータを束ねた“Agent Readiness”が、SaaSの新しい評価指標になる。
5. エンタープライズ導入のガバナンス設計: 90日で最低限整えるべき管理面
AIネイティブワークフロー移行を失敗させる主因は、技術不足ではなく統制不足である。2026年2月24日の発表後に導入を急ぐ企業ほど、最低限の統制フレームを先行実装すべきである。実務上は90日で以下を整えるのが現実的である。
- 責任分界: 各プラグインに対し業務オーナー・セキュリティオーナー・データオーナーを明記する。
- 接続審査: 新規プラグインは「データ分類」「外部送信範囲」「承認要否」「監査ログ有無」の4項目で審査する。
- 実行ポリシー: 高リスク操作(支払い実行、契約送信、人事変更)は必ず二段承認を通す。
- 可観測性: OpenTelemetryなどでツール呼び出し・承認・失敗を同一トレースに集約し、月次でレビューする。
- 継続判定: 自動化率ではなく、再作業率、監査工数、インシデント件数をKPIに含める。
ガバナンスを厳格化すると導入速度が落ちる、という反論は一見正しい。しかし規制対象業務では、後追い統制のほうがコストが高い。特に投資銀行・法務・HRは、誤判定そのものより「判断根拠の不在」が重大な監査リスクになる。したがって、初期段階からログ一貫性と承認境界を固定する方が総コストは低い。
総括すると、Anthropicの2026年2月24日発表は、プラグイン数の競争を超え、企業ソフトウェアの価値連鎖を「画面中心」から「エージェント中心」へ移した。SaaSベンダーの論点は、機能追加速度からエージェント連携品質へ、企業ユーザーの論点は、導入可否から責任設計へシフトする。Claude Coworkという呼称の是非を超えて、起きている本質はAIネイティブワークフローへの構造転換である。2026年後半に差がつくのは、最も派手なデモを出す企業ではなく、最も明確な実行契約と監査契約を定義できる企業である。
FAQ
Q1. 10大プラグインは企業業務をすぐ完全自動化できるのか。
完全自動化は前提ではない。実務では高リスク操作を人間承認へ残し、情報収集とドラフト生成を先に自動化する段階導入が妥当である。
Q2. 既存SaaSはすべて不要になるのか。
不要にはならない。むしろAPI品質、権限制御、監査ログの機械可読性を持つSaaSほど、エージェント経由で利用機会が増える可能性が高い。
Q3. 導入初期に最優先すべき技術要件は何か。
ツール呼び出しのスキーマ固定と認可伝播である。これが曖昧だと後続の監査・障害対応が破綻し、運用拡大できない。
Q4. カスタムエージェントのマーケットプレイス運用で最も注意すべき点は何か。
公開範囲と権限境界の分離である。社内限定配布と外部公開配布を同じ審査基準で扱うと、速度か安全性のどちらかが必ず崩れる。
参考文献
- Introducing plugins in Claude — Anthropic, 2026-02-24
- Anthropic announces Monitoring, Marketplace, and portable file systems for plugins — Anthropic, 2026-02-24
- Plugins - Claude Code documentation — Anthropic Docs, 2026-09-17
- Plugin access control settings — Anthropic Docs, 2026-09-17
- OpenTelemetry Traces — OpenTelemetry, 2025-11-20



