Kubernetes 1.34/1.35が切り拓くAIインフラの経済合理性

2025年9月にリリースされたKubernetes 1.34、そして同年12月の1.35は、AIワークロードの運用経済を根本的に変える機能群を実装した。本記事では、経済の視点からこれらの技術進化がもたらすコスト構造の変革と市場インパクトを分析する。

CNCFの2025年年次調査によれば、コンテナユーザーの82%がKubernetesを本番環境で運用し、GenAIモデルを運用する組織の66%がKubernetes上で推論ワークロードを稼働させている。Kubernetesはもはや汎用コンテナオーケストレーターではなく、AIインフラの事実上のOSとなった。この覇権が確立されたタイミングで投入された1.34/1.35のAI専用機能は、GPU計算資源という希少資産の配分効率を劇的に高め、企業のAIインフラ投資のROIを構造的に改善する可能性を持つ。

筆者は全国規模のインフラサービスで技術主任を務めた経験から、「止められないという制約が技術的判断の全てを支配する」ことを体感してきた。KubernetesのAIワークロード管理においても、推論サービスの無停止運用とリソース効率の両立は、まさにこの制約のもとでの最適化問題である。

DRA(動的リソース割り当て)のGA昇格 ── GPU資源市場の効率化

Kubernetes 1.34における最大のマイルストーンは、Dynamic Resource Allocation(DRA)のGeneral Availability昇格である。DRAは、GPU・TPU・FPGAといった専用ハードウェアを柔軟に割り当てるフレームワークであり、1.34でデフォルト有効化された。

経済学的に見れば、DRAはGPU計算資源という希少財の配分メカニズムを、固定配分型から動的市場型へと転換するものである。従来のKubernetesでは、GPUは「1ポッド=1GPU」という粗い粒度でしか割り当てられず、典型的な推論ワークロードのGPU利用率は30〜35%に留まっていた。50の推論サービスがそれぞれ30%の利用率で1GPUを占有する場合、実質的な計算需要は15〜20GPU分であるにもかかわらず50GPU分のコストが発生する。GPU単価を3〜4ドル/時間とすれば、年間10万ドル以上の無駄が生じる計算になる。

DRAは構造化パラメータによってGPUのトポロジ要求(例:「同一メモリバスを共有するGPU」)を記述可能とし、ファブリック接続GPUや複雑なハードウェアトポロジにネイティブ対応した。さらに1.35ではPartitionable Devices(アルファ)が導入され、1基のGPUを論理的に分割して複数ワークロードに提供する機能が復活した。これはNVIDIA MIG(Multi-Instance GPU)と組み合わせることで、GPU利用率を理論上70〜80%まで引き上げ、実質コストを半減させる可能性を持つ。

コンテナオーケストレーション市場は2026年時点で31.3億ドル規模に達し、2031年には84.1億ドル(CAGR 21.85%)に成長すると予測されている。DRAのGA昇格は、この市場成長の加速要因となるだろう。AIインフラ市場全体(2026年約900億ドル、2033年約4,650億ドル、CAGR 24%)においても、Kubernetesの92%という市場支配率を考えれば、DRAの経済的影響は無視できない。

バッチ一括スケジューリング ── 分散学習のデッドロックコスト排除

Kubernetes 1.35は、Gang Scheduling(全か無かスケジューリング)をアルファ機能として導入した。これは分散AI学習ジョブにおいて、すべてのポッドが同時にスケジュールされるか、まったくスケジュールされないかを保証する仕組みである。

この機能の経済的意義は、分散学習における「部分起動デッドロック」のコスト排除にある。従来、8ノードで分散学習を実行する場合、7ノードのみが確保されて8ノード目を待ち続ける状況が発生し得た。この間、7ノード分のGPUリソースは使われないまま課金が続く。大規模LLM学習では1時間あたり数百ドルのGPU費用が発生するため、デッドロック1件あたりの機会損失は無視できない。

1.35では新たにWorkload API(アルファ)が導入され、ワークロードの形状(shape)とスケジューリング要件をKubernetesの第一級市民として記述できるようになった。これにより、スケジューラはリソースのプリエンプション判断やオートスケーリングをワークロード単位で最適化できる。

さらに、Opportunistic Batching(ベータ)も注目に値する。同一スケジューリング要件を持つポッドを識別し、実行可能性の計算を再利用することで、10,000ポッドのジョブを数秒でスケジュール可能とした。これは明示的なオプトインを必要とせず、スケジューラが自動的に適用する。大規模バッチ処理のキュー待ち時間を劇的に短縮し、GPUクラスタの稼働率を向上させる。

Kueue(v0.16.1、2026年2月時点)は、これらのネイティブ機能を補完するバッチスケジューリングシステムとして機能する。Kueueは当初からAll-or-Nothing方式でワークロードをアドミッションし、階層型クォータによるチーム間のリソース公平配分、優先度ベースのプリエンプション(低優先ジョブの全ポッド退避)、MultiKueueによるマルチクラスタジョブ分散を提供する。

eBPF/Cilium統合とネットワーク経済 ── カーネルレベルの限界費用削減

Kubernetesにおけるネットワーク層のパラダイムシフトとして、eBPFベースのCiliumが事実上の標準CNI(Container Network Interface)プラグインとなりつつある。Google GKEではDataplane V2がCiliumベースで実装され、新規GKE Autopilotクラスタのデフォルトに採用されている。

eBPFの経済的インパクトは、ネットワーク処理の限界費用構造を変えることにある。従来のiptablesベースのkube-proxyは、サービス数の増加に伴いルール数が線形に増加し、パケット処理のレイテンシが劣化する。O(n)の計算量がボトルネックとなり、大規模クラスタではネットワーク層がスケーラビリティの天井となっていた。Ciliumはカーネル空間のeBPFハッシュテーブルでルックアップをO(1)に変換し、サービス数に依存しない一定のスループットを実現する。

LLM推論基盤においてこの差は顕著である。トークンストリーミング型の推論サービスは、リクエスト1件あたりの接続時間が長く、同時接続数が爆発的に増加する。筆者は2,000人同時接続のリアルタイムサービスを設計した際、「同時接続の壁はアーキテクチャの問題であって個別の最適化では超えられない」ことを痛感した。eBPF/Ciliumへの移行は、まさにネットワーク層のアーキテクチャ転換であり、個別のチューニングでは到達できないスループット水準を構造的に可能にする。

AI推論のマイクロサービス化が進む中、モデルサーバー間の内部通信量は急増している。eBPFによるユーザースペースオーバーヘッドの排除は、GPU間通信のレイテンシを最大3倍改善するとされ、これは推論1トークンあたりのコストを直接引き下げる。

ベアメタルKubernetes vs. クラウドGPU ── TCO分析と最適解

AIインフラの経済設計において避けて通れないのが、ベアメタルKubernetes(自社構築)とクラウドGPUインスタンスのTCO比較である。10ノード×2 GPU(NVIDIA L4)構成の3年間TCO比較は、明確な経済的示唆を与える。

項目クラウドGPUベアメタルK8s
月額コスト約42,000ドル約14,500ドル
3年間TCO約150万ドル約52万ドル
GPU利用率ハイパーバイザー経由ダイレクトアクセス
ネットワークレイテンシ仮想化オーバーヘッドあり最大3倍改善
3年間節約額約98万ドル

ベアメタル構成は月額コストを65%削減し、3年間で約98万ドルの節約を実現する。しかし、この比較には初期投資(CAPEX)、運用人員のコスト、障害対応のリスクプレミアムが含まれていない。Kubernetes 1.34/1.35のDRA・In-Place Pod Resource Resizing(1.35でGA昇格)は、ベアメタルの優位性をさらに強化する。In-Place Resizingにより、推論サービスのCPU/メモリ割り当てをポッド再作成なしに動的変更でき、ワークロード変動への即座の適応が可能となった。

最適な戦略は、ベースラインの推論負荷をベアメタルKubernetesで処理し、バースト需要をクラウドGPUでスケールアウトするハイブリッドモデルである。Kueueの階層型クォータとMultiKueueによるマルチクラスタ分散が、このハイブリッド戦略の技術基盤となる。

AI専用API群の産業化 ── LeaderWorkerSetとJobSetの経済効果

Kubernetes エコシステムでは、AI/ML向けの専用APIが急速に成熟しつつある。LeaderWorkerSet(LWS)は、複数ノードにまたがるLLMシャーディングのためのポッドグループ管理APIであり、NVIDIA DynamoやvLLMといった分散推論フレームワークが採用している。

JobSet(v0.10.1)は、複数ジョブをグループとして管理し、チェックポイントベースの再開を含む障害処理を提供する。PyTorch、JAX、TensorFlow、MPIワークロードに対応し、Kueueとの統合により優先度制御とリソースクォータ管理を一体化させた。

これらAPI群の経済的意義は、AI学習・推論パイプラインの産業化コストを下げることにある。従来、大規模分散学習の運用には高度な専門知識を持つMLOpsエンジニアが必要であった。Kubeflow Trainer v2はJobSetとLeaderWorkerSetの上に構築され、分散学習とLLMファインチューニングをKubernetesネイティブに抽象化する。この抽象化は、MLOpsの専門人件費を削減し、AI導入の限界費用を低下させる。

CNCFの調査では、クラウドネイティブ導入の最大障壁はツールの複雑さではなく組織的課題(内部コミュニケーション、チーム連携、経営層の理解)であると報告されている。API群の成熟と抽象化の進展は、技術的障壁をさらに低下させ、組織的課題の克服に注力できる環境を整える。

エッジクラスタとストレージ重視型復旧 ── 分散推論の経済地理学

AI推論基盤のエッジ展開は、レイテンシ要件とデータ主権規制の双方から経済的合理性を持つ。EU AI規則(2026年8月にハイリスクAI規制が完全施行)やデータローカライゼーション要件は、推論を地理的にユーザー近傍で実行する動機を強化している。

Kubernetesのエッジクラスタ展開において、ストレージ重視型の災害復旧設計は経済的に重要な考慮事項である。LLMモデルウェイト(数十〜数百GB)の復旧時間は、従来のアプリケーション復旧とは桁違いのストレージI/Oを要求する。Kubernetes 1.35のIn-Place Pod Resource Resizingと組み合わせ、復旧中のリソース割り当てを動的に調整するアプローチが、ダウンタイムコストを最小化する。

金融系システムの開発において「ミリ秒単位のレイテンシが直接損益に影響する」ことを経験したが、AI推論サービスにおいても同様の経済構造が成立する。エッジでの推論レイテンシ50ms短縮は、ユーザー体験のKPI向上を通じて、サービスの収益性に直結する。エッジクラスタの設計では、モデルの事前配置戦略(Pre-positioning)とストレージ帯域の最適化が、投資対効果を左右する。

FAQ

Kubernetes 1.34のDRA GA昇格で、GPU利用率はどの程度改善するのか?

従来の固定割り当てではGPU利用率が30〜35%に留まっていたが、DRAとNVIDIA MIGの併用により理論上70〜80%への改善が見込まれる。ただし実効値はワークロード特性に依存し、推論サービスでは50〜60%が現実的な目標とされる。

Gang Schedulingはどのバージョンで安定版になるのか?

1.35時点ではアルファ段階であり、Workload APIと合わせてベータ昇格は1.36以降と見込まれる。Kueue(v0.16.1)が補完的にGangスケジューリングを提供しており、現時点ではKueueとの併用が推奨される。

ベアメタルKubernetesとクラウドGPU、どちらを選ぶべきか?

安定した推論負荷が月額2万ドル以上であればベアメタルのTCO優位が明確になる。バースト需要の割合が高い場合はクラウドGPU、もしくはベアメタル+クラウドのハイブリッド構成が経済的に合理的である。

eBPF/CiliumへのCNI移行にはどの程度のコストがかかるのか?

既存のiptablesベースCNIからの移行は、クラスタ規模により1〜4週間程度の作業期間を要する。GKEではDataplane V2がデフォルト化されており、新規構築であれば追加コストなしでeBPFのメリットを享受できる。

Kueueは商用利用に十分な成熟度か?

Kueueはv0.16.1(2026年2月)に達しており、CoreWeaveをはじめ大規模GPU提供事業者が本番採用している。ただしAPIバージョンは安定版(v1)に達しておらず、マイナーバージョン間でのAPI変更に留意が必要である。

参考文献