エグゼクティブサマリー

2026年2月現在、AIは経済・社会のあらゆる局面に浸透しつつある。米国ではAI関連投資がGDP成長に0.4〜0.9ポイント寄与し、企業のAI導入率は10%に達した。一方で、Pew Researchの調査(2025年6月)では米国成人の50%がAIの日常利用拡大に「興奮より懸念」を示し、AIの社会的リスクを「高い」と評価する割合は57%に達している。

日本はこの構図のなかで特異なポジションにある。生成AIの個人利用率は26.7%と、中国(81.2%)、米国(68.8%)、ドイツ(59.2%)に大きく後れをとる。しかし、JILPT(労働政策研究・研修機構)の調査では、職場でのAI利用者のうち「ウェルビーイングが改善した」と回答する割合が「悪化した」を上回り、利用者に限れば肯定的な影響が示唆されている

本レポートは、AIの社会浸透が人間の幸福度と経済構造にもたらす影響を、日本を軸にグローバル比較の視点から分析する。結論として、AIは「利用する者」と「利用しない・できない者」の間に新たな幸福格差を生み出しつつあり、この格差は国際的なデジタルデバイドと構造的に相似している。政策立案者には、技術普及と格差是正の両面での介入が求められる。

第1章:AI浸透の現在地 ── 日本と世界のギャップ

AIと人間の幸福の均衡を表す概念図
AIの浸透は経済成長をもたらす一方、幸福度への影響は一様ではない

1.1 生成AI利用率の国際比較

総務省「令和7年版情報通信白書」(2025年7月)によれば、日本における生成AIの個人利用率は26.7%にとどまる。これは調査対象国中で最低水準であり、トップの中国(81.2%)とは3倍以上の開きがある。

生成AI個人利用率週1回以上利用
中国81.2%
米国68.8%55%(全人口)
ドイツ59.2%
日本26.7%約10%

クロス・マーケティングの調査(2025年10月、全国20〜79歳3,000名対象)では、AIの認知率自体は87%に達しているものの、AI関連サービスの利用頻度は「週1日以上」が24%、「月1日以上」が32%にとどまる。「知ってはいるが使わない」が日本の現状である。

1.2 企業レベルでのAI導入

米国では企業のAI導入率が2023年末の3.7%から2025年9月時点で10%へと急伸した。労働者の37%が業務でAIツールを利用している。一方、EY Japanの2025年12月調査では、日本の政府機関におけるAI導入に関しては「高い目標と実際の導入状況との間に大きな格差」が存在すると指摘されている。

JILPT「AIの職場導入による働き方への影響等に関する調査」(2025年)は、日本の労働者レベルでのAI利用実態を初めて体系的に調査したものであり、後述する幸福度への影響分析の基盤データとなっている。

第2章:AI利用と幸福度 ── 相関か因果か

2.1 日本の調査データ

クロス・マーケティング調査(2025年)では、AIを頻繁に利用する人ほど幸福度が高い傾向が確認された。しかし、この相関には以下の解釈上の留意点がある。

  • 自己選択バイアス:新しい技術に前向きな性格特性を持つ人がAIを積極的に利用し、同じ性格特性が幸福度にも正の影響を与えている可能性
  • 社会経済的背景:AIを利用できる環境(高速インターネット、デジタルリテラシー、所得水準)と幸福度の双方に影響する交絡因子の存在
  • 逆因果:幸福度が高い人ほど新技術への受容性が高い可能性

JILPT調査はより具体的な知見を提供している。職場でのAI利用者に対し「メンタルヘルスとウェルビーイング(生活満足度や幸福度等)」の利用前後の変化を尋ねたところ、変化が生じた場合には「改善した」が「悪化した」を上回った。特に以下の条件が整った場合に改善効果が高まることが示された。

  1. 企業と労働者の間でAI導入に関する十分なコミュニケーションが存在すること
  2. 学び直し(リスキリング)の機会が提供されていること
  3. 企業による体系的な訓練プログラムが実施されていること

2.2 博報堂100年生活者研究所の6カ国比較(2025年2月)

博報堂100年生活者研究所は日本、米国、中国、デンマーク、英国、オーストラリアの6カ国で「AIと幸福」に関する国際比較調査を実施した。主な知見は以下の通りである。

  • 日本以外の国では、AIが「人間の意思決定に過度な影響力を与えるリスク」への懸念が顕著
  • プライベートでの積極的なAI活用が、AI時代の幸福度向上の鍵となる可能性
  • 国・文化によってAIと幸福の関係性の捉え方が大きく異なる

2.3 グローバルな研究動向

Pew Research Center(2025年6月、米国成人5,000名超対象)の調査では、AIの日常利用拡大について「興奮より懸念」が50%で、2021年の37%から上昇している。AIの社会的リスクを「高い」と評価する割合は57%に達し、「便益が高い」の25%を大きく上回った。

学術研究においても、AIと幸福度の関係は多面的に検討されている。

  • 「合成的幸福(Synthetic Happiness)」概念:AIによって促進・強化される幸福は、自然発生的な幸福と質的に異なる可能性(ResearchGate、2025年)
  • 感情的ウェルビーイングの再構成:AI普及期(2020-2025年)における機会(支援アクセスの拡大、パーソナライゼーション、早期検知)とリスク(模擬的共感、感情依存、アルゴリズム疲労、関係性の真正性の侵食)の双方が確認(Societies、2025年12月)
  • 文化差の影響:アラブ圏ではAIの幸福度への寄与を英国より肯定的に評価。AIコンピテンシー、性格特性、統制の所在が影響(Journal of Technology in Behavioral Science、2025年)

2.4 「ウェルビーイング中心設計」の台頭

Behaviour & Information Technology(2025年)の論説は、AI技術の設計・評価において「ウェルビーイング中心」のアプローチを提唱している。人類の目標が「幸福の促進」であるなら、幸福はAI技術のコア設計原則であり、評価指標であるべきだという主張である。

JMIR Human Factors(2025年9月)に掲載された240本の文献を対象としたシステマティックレビューは、AI搭載システムにおけるデジタルウェルビーイングへの関心が高まっているものの、アプローチの断片化が包括的な理解を妨げていると指摘し、「デジタルウェルビーイングのための人間中心AI」モデルを提案している。

第3章:AI浸透の経済的インパクト

3.1 GDP成長への寄与 ── 期待と実態

2025年前半、AI関連事業投資は年率18%で急伸し、第2四半期のGDP成長に1ポイントの寄与をもたらした。しかし、AI関連の知的財産およびコンピュータ機器の輸入を控除すると、純寄与は平均0.4ポイントにとどまる。

指標数値出典
AI関連投資のGDP寄与(粗)0.9ポイント(2025年Q1-Q3平均)St. Louis Fed
AI関連投資のGDP寄与(純)0.4-0.5ポイントCNBC分析
IMF予測:AIによるグローバルGDP押し上げ年率約0.5%(2025-2030年)IMF WP/25/76
Penn Wharton推計:AI累積生産性向上+1.5%(2035年)、+3.7%(2075年)Penn Wharton Budget Model
米国企業AI導入率3.7%→10%(2023末→2025年9月)Census Bureau

重要なのは、IMFの分析において先進国と低所得国でAIの成長効果に2倍以上の格差がある点である。AI準備度やアクセスの改善によって格差を緩和できるが、完全に相殺することは困難とされている。

3.2 生産性への長期的影響 ── 見解の大きな幅

AIの長期的な生産性効果については、研究者間で見解が大きく分かれている。

推計者TFP(全要素生産性)への影響期間
Acemoglu(保守的)+0.7%10年間
Penn Wharton+1.5%(GDP)2035年まで
Aghion & Bunel(楽観的)+1.8%(5年)、+2.4%(10年)グローバルTFP

この不確実性の大きさ自体が政策立案上の重要な情報である。最も保守的な推計でも正の効果が見込まれる一方で、楽観シナリオとの差は10倍近くに及ぶ。政策はこの不確実性の幅を前提として設計される必要がある。

3.3 労働市場への影響 ── 「置換」と「補完」の同時進行

世界経済フォーラムの推計では、AIにより8,500万の雇用が置換される一方で9,700万の新たな雇用が創出され、純増1,200万のポジションが生まれるとされる。しかし、その内訳には深刻な構造的課題がある。

  • 最も影響を受けるのは所得上位80パーセンタイル周辺:業務の約半分がAIによる自動化の対象(ILO、2025年7月)
  • ジェンダー格差:米国でAI自動化に高度に曝露される女性労働者は5,887万人、男性は4,862万人(SSRN、2025年)
  • スキル格差:新規AI関連職の77%が修士号を要求。エントリーレベルの浸食も懸念(20-24歳の学士以上保持者の失業率上昇)
  • 2025年のAI起因レイオフ:55,000件(Challenger社調べ)。総レイオフ117万件のうち約5%

Harvard Business Schoolの2025年ワーキングペーパーは、従来の「置換指数」に加えて「補完指数(Augmentation Index)」の概念を提案し、AIが人間の労働を代替するだけでなく補完する側面をより正確に捉える分析フレームワークを提供している。

第4章:AIとグローバル格差 ── 「デジタルデバイド」の深化

4.1 AI能力の集中構造

世界銀行「Digital Progress and Trends Report 2025」(2025年11月)は、AI能力の極端な集中を示すデータを提示している。

指標高所得国中所得国低所得国
世界人口比17%
注目AIモデル87%
AIスタートアップ86%
VC資金91%
コロケーションDC容量77%上位中18% / 下位中5%0.1%未満

アフリカは世界人口の18%を占めるにもかかわらず、グローバルデータセンター容量の1%未満しか保有していない。インドは2026年までに国内需要を満たすためだけでも容量をほぼ倍増させる必要がある。

4.2 「頭脳流出」の自己強化サイクル

世界銀行レポートは、低中所得国における深刻な構造的課題を指摘している。クラウド技術やデータセンター管理のスキルを習得した専門家が先進国へ流出し、それが投資家の信頼を低下させ、さらなる低開発を招く自己強化的な悪循環が生じている。

4.3 「Small AI」という希望

一方で、低中所得国における「Small AI」の台頭は注目に値する。スマートフォン上で動作する低コスト・簡易なAIアプリケーションが急速に普及しており、2025年半ば時点でChatGPTのグローバルトラフィックの40%以上が中所得国(ブラジル、インド、インドネシア、ベトナム等)から発生している。

4.4 不平等とジニ係数 ── 意外な発見

EPJ Data Science(2025年4月)に掲載された研究は、AIと不平等の関係について興味深い知見を提供している。米国の都市圏(MSA)レベルの分析において、AIの潜在的影響度が高い地域ほどジニ係数が低い(より平等な所得分布を持つ)という結果が得られた。

ただし、著者らは因果関係の推定には慎重であり、「より生産的で平等な地域がAIの恩恵を受けやすい位置にある」可能性も指摘している。また、AI影響度の高いMSAはクリエイティブ産業に特化する傾向があり、経済的多様性に欠ける点も示されている。

第5章:日本への政策的含意

5.1 日本固有の課題

日本はAI浸透において以下の固有の課題を抱えている。

  1. 利用率の構造的低さ:認知率87%に対して利用率26.7%。「知っているが使わない」という態度は、技術的障壁よりも文化的・制度的要因を示唆する
  2. 少子高齢化との交差:労働力不足が深刻化するなかでAIは解決策となりうるが、高齢者のデジタルリテラシー格差がその効果を制限する
  3. 規制への期待:AI関連の法規制を求める層が8割を占め、イノベーション促進とのバランスが問われる
  4. 「幻滅の谷」との同期:企業のAI導入が世界的に「幻滅の谷」に入るタイミングで、日本企業の導入が本格化する可能性。先行者の失敗事例を学習できる利点がある一方、投資の萎縮リスクも

5.2 政策提言

提言1:AI利用格差の可視化と是正

調査データが示す「AI利用者の方が幸福度が高い」という相関が因果を含むならば、AI非利用者層への介入は幸福度政策となる。以下を提言する。

  • 年齢・地域・所得別のAI利用格差の継続的モニタリング体制の構築
  • 公共施設(図書館、公民館等)でのAIリテラシー講座の全国展開
  • 高齢者向けAIアシスタントの標準インターフェース策定

提言2:職場AI導入のウェルビーイング条件の制度化

JILPTの調査が示す「コミュニケーション+リスキリング+訓練」のセットが改善効果を高めるという知見は、政策化が可能である。

  • AI導入企業に対する「ウェルビーイング影響評価」の努力義務化
  • 労使協議においてAI導入プロセスを協議事項に追加するガイドラインの策定
  • リスキリング税制優遇の拡充(現行の人材開発促進税制の適用範囲拡大)

提言3:AI時代の幸福度指標の再定義

GDPへのAI寄与を測定するだけでは不十分である。IMFが提案するAI指標(一人当たりコンピュート容量、接続性、現地人材育成、雇用影響比率)に加え、以下の指標を国の統計体系に組み込むことを提言する。

  • AI利用と主観的幸福度のクロス分析を含む「デジタルウェルビーイング指数」
  • AI自動化曝露度と所得変動のモニタリング指標
  • 「AI補完度」(HBS Augmentation Index の日本版)による雇用の質の測定

提言4:国際的なAI格差への貢献

日本はG7の一員として、AIデバイドの是正に積極的な役割を果たすべきである。

  • ASEAN諸国向けの「Small AI」開発協力プログラムの創設
  • 2026年インドAIインパクトサミットへの積極的参画と、コンピュート資源の国際共有フレームワークの提案
  • ODA予算におけるデジタルインフラ支援の比率拡大

結論

AIの社会浸透が人間の幸福度と経済構造に与える影響は、一義的に「良い」とも「悪い」とも言えない。データが示しているのは、AIの恩恵と負の影響の両方が、既存の格差構造を増幅する形で分配されているという事実である。

AIを利用する人はより幸福になり、利用しない人は取り残される。AIに投資できる先進国は成長を加速させ、できない途上国との格差は拡大する。AIで業務を強化される労働者は生産性を高め、自動化で職を失う労働者は再就職に苦しむ。

この構造的不均衡に対する政策介入は、技術普及の促進だけでは不十分である。JILPTの調査が示すように、AI導入の「プロセスの質」──コミュニケーション、リスキリング、訓練──が幸福度への影響を左右する。テクノロジーの設計段階から「ウェルビーイング中心」のアプローチを組み込むこと、そして格差の拡大を防ぐ制度的セーフティネットの構築が、AI時代の政策立案者に求められている。

少子高齢化が進む日本にとって、AIは生産性維持のために不可欠な技術であると同時に、その導入過程で新たな社会的分断を生むリスクを孕んでいる。利用率26.7%という現在の数字は、課題であると同時に、「まだ間に合う」ことを意味している。先行国の成功と失敗の双方から学び、日本固有の条件に適した導入モデルを構築するための時間的猶予は、今後2〜3年に限られるだろう。