2026年2月3日、テクノロジー市場は歴史的な暴落を経験した。わずか1日で約2,850億ドル(約43兆円)の時価総額が消失し、この事態は「SaaSpocalypse(SaaS崩壊)」と呼ばれるようになった。引き金となったのは、Anthropicが1月に発表したAIエージェント「Claude Cowork」である。本稿では、このSaaSpocalypseの本質と、エンタープライズソフトウェア業界に迫る構造転換を分析する。

Claude Coworkとは何か

Claude Coworkは、2026年1月12日にAnthropicが発表した汎用AIエージェントである。macOS上でファイル管理や文書処理タスクを自動化するこのツールは、ビジネスユーザー向けに設計され、タスクの計画から実行までを自律的に遂行する。契約書レビュー、データ分析、マーケティングキャンペーン、営業ワークフロー、人事業務など、幅広いオフィス業務の自動化を可能にする。

1月30日、Anthropicは法務、営業、マーケティング、データ分析向けのプラグインをリリースした。企業は自社固有のワークフロー、ツール、インテグレーションを役割ベースのAI「アプリ」としてパッケージ化できるようになった。チームおよびエンタープライズ管理者は、組織全体にスキルを一元的にプロビジョニングできる。この発表が、グローバル市場に衝撃を与えた。

2,850億ドルが消えた日

プラグイン発表の直後から、ウォール街ではSaaSおよびプロフェッショナルサービス銘柄の大規模な売りが始まった。Thomson Reutersは株価の16%を失い、RELXは14%下落、Wolters Kluwerは10%下落した。売りは法務テック以外にも波及し、Salesforce、ServiceNow、Atlassianといったエンタープライズソフトウェア大手も巻き込まれた。

2026年に入ってからの下落幅は深刻である。Salesforceは約25%下落し、ServiceNowも同程度の下落を記録した。Atlassianに至っては35%の下落である。ServiceNowの株価は2月時点で109ドルまで下落し、過去最高値の239ドルから半値以下となった。CNBCは「AIへの恐怖がソフトウェア株を叩きのめしている」と報じた。

シート圧縮という構造問題

SaaSpocalypseの本質は「シート圧縮(Seat Compression)」にある。従来のSaaSビジネスモデルは、ソフトウェアを使用するユーザー数(シート数)に基づく課金が主流だった。しかし、1つのAIエージェントが50人のジュニア社員の仕事をこなせるようになれば、必要なシート数は劇的に減少する。投資家はこの構造変化にようやく気づいた。

かつて100ライセンス必要だった企業が、AIエージェントの活用により10ライセンスで済む可能性がある。顧客にとっての生産性向上は、ベンダーにとっての収益漏洩を意味する。BCGの分析によれば、シートベース価格を採用する企業の割合は12カ月で21%から15%に低下し、ハイブリッド価格モデルは27%から41%に急増した。

価格モデルの大転換

SaaS企業は価格戦略の根本的な見直しを迫られている。Salesforceは2024年10月に「Agentic Enterprise License Agreement(AELA)」を導入し、シート数ベースの柔軟なオプションと再利用可能なクレジットを組み合わせたパッケージを提供し始めた。ただし、Salesforceの顧客はEinsteinによって顧客サービス担当者の効率が向上し、シート数が10%削減されているとの報告もある。

業界全体で、シートベースから成果ベース(outcome-based)やハイブリッドモデルへの移行が進んでいる。基本月額料金に加えて、成果や使用量に連動した変動料金を課す方式が主流になりつつある。Wing Venture Capitalのレポートは、AIがソフトウェア企業に「何に対して課金するか」を根本から再考させていると指摘する。

これはバブル崩壊か、パラダイムシフトか

SaaSpocalypseの解釈は専門家の間でも分かれている。SaaStr創業者のJason Lemkinは、「2026年のSaaSクラッシュは現実だが、AIエージェントが来四半期にSalesforceを置き換えるからではない」と指摘する。むしろ、2021年から始まった成長減速をマーケットがようやく織り込み始めた結果だという見方もある。

Bain & Companyの分析は、AIエージェントとSaaSの関係を「強化(enhancing)」「圧縮(compressing)」「凌駕(outshining)」「共食い(cannibalizing)」の4つのシナリオで整理している。高いAI浸透度と高いユーザー自動化が交差する領域は「戦場」となり、既存企業はプロアクティブにAIでSaaS機能を置き換えなければ、新規参入者に敗北するリスクがある。

生き残りのための新たな堀

では、SaaS企業はどう対応すべきか。新たな競争優位(堀)は、データネットワーク効果、AIエージェントが容易に複製できない深いシステム統合、そして顧客の成果とベンダーのインセンティブを一致させる成果ベースのビジネスモデルによって構築される。SalesforceのMarc Benioff CEOは「我々は顧客のデータをすべて持っている」と主張し、Agentforceが「Salesforce史上最も急成長している製品」だと語る。

ServiceNowやOracleは統合戦争で優位に立っているとされる一方、HubSpotやAtlassianのようなニッチプレーヤーは、特化機能がより大きなAI統合プラットフォームに吸収される圧力に直面している。2026年は、エンタープライズソフトウェアの勝者と敗者が明確に分かれる年になるだろう。

FAQ

SaaSpocalypseとは何か?

2026年2月に発生したSaaS(Software as a Service)関連株の大規模な暴落を指す造語である。AnthropicのClaude Coworkプラグイン発表をきっかけに、AIエージェントがSaaSツールを代替するとの懸念から約2,850億ドルの時価総額が消失した。

Claude Coworkは日本で利用できるか?

2026年2月時点で、Claude Coworkはmacos向けのClaude Desktopアプリで、Pro、Max、Team、Enterpriseの有料プランユーザーに提供されている。日本語での利用も可能だが、一部プラグインは英語圏向けに最適化されている。

シート圧縮はすべてのSaaS企業に影響するか?

影響度は事業領域により異なる。ユーザー数に連動したタスク処理が中心の製品(カスタマーサポート、営業支援など)は最も脆弱である。一方、データ統合やプラットフォーム機能を提供する企業は、AIエージェントの基盤として生き残る可能性が高い。

SaaS企業の株は買い時か?

専門家の見解は分かれている。CNBCは「ソフトウェアにとって最もエキサイティングな瞬間」と報じる一方、AI浸透度の高い領域では更なる下落リスクもある。投資判断には個別企業のAI戦略と価格モデル転換の進捗を精査する必要がある。

参考文献